水利の乏しいこの台地の灌漑事業計画
の序章は、改良区に残る「新井手開板鑿
並発企乃土木記事」の、明治14年8月
14日の記述で始まる。 明治以前には
地域を統括する豊後岡中川氏が、井路の
開鑿、新田の開拓、殖産の推奨を勧めた
が、幕藩体制下経済の破綻や天変地異に
よって成就することはなかった。
1811年(文化8年)に起こった一揆(四原一揆)は、農民の命懸けの騒動であり、それがこの地方の貧困を物語っているいちめんの稲穂が波うつまで、水を求めた堪忍不抜の百年の歴史がある。それは、地域とともに歩んだ改良区の歴史である。
 大正15年の全線通水と昭和15年のダム竣工に併せた大規模な開墾と圃場の整備は、画期的なことであったが反面、莫大な負担を農家が担うことにもなったのである。滞納の発生、起債の未償還、組合経営の危機に瀕して、昭和55年から大野川上流開発事業により、国営、県営灌排事業に着手した。 昭和62年に、荻町土地改良区を吸収すると、町のほぼ全域の農家を組合員とする土地改良区となった。


沿革
 1879(明治12)年 明治14年8月14日起しの記録に熊本県阿蘇郡高森町津留に水源を確認とある
 1891(明治24)年 普通水利組合認可
 1914(大正 3)年 耕地整理組合認可
 1923(大正12)年 第一幹線通水  13年→全線通水
 1927(昭和 2)年 通水紀念碑建設
 1934(昭和 9)年 大谷ダム着工  15年竣工
 1951(昭和26)年 荻柏原土地改良区に組織変更
 1957(昭和32)年 県営農地保全工事着工  36年完工
 1961(昭和36)年 県営大谷地区干害恒久対策事業(グラウト)工着工  43年完工
 1976(昭和51)年 県営圃場整備事業着工(51年より荻地区、52年より柏原地区、54年より柏原地区第二地区着工、平成11・12年度完工)
 1978(昭和53)年 畑地帯総合土地改良事業着工
 1979(昭和54)年 中華民国台湾省宜蘭農田水利会と姉妹会盟約
 1979(昭和54)年 県営大規模老朽ため池整備事業(大谷池)完工
 1980(昭和55)年 大野川上流開発事業により、国営・県営灌漑排水幹線水路工事着工 平成12年度完工
 1987(昭和62)年 荻町土地改良区を吸収合併、現在に至る
水路隧道工事(大正時代)