名称 | 荻柏原土地改良区 |
愛称 | 水土里ネット荻柏原 → 水土里ネットについて |
所在地 | 大分県竹田市荻町馬場426番地1 |
電話・FAX | 0974-68-2238 / 0974-68-2239 |
Eメール | midorinet-ogi@cup.ocn.ne.jp |
組合員数 | 700名 |
総代数 | 48名 |
役員 | 理事12名 監事4名 |
職員 | 職員4名 |
選挙区 | 総代数 |
馬場区 | 4人 |
桜町区 | 4人 |
桑木区 | 3人 |
木下区 | 1人 |
政所区 | 2人 |
藤渡区 | 4人 |
新藤区(南河内を含む) | 3人 |
高城区 | 3人 |
恵良原区 | 4人 |
陽目区 | 1人 |
選挙区 | 総代数 |
仏面区 | 2人 |
叶野上区 (※) | 3人 |
叶野下区(大平を含む) | 2人 |
高練木区 | 2人 |
柏原区 | 2人 |
瓜作区(北原を含む) | 3人 |
宮平区 | 2人 |
田代区 | 1人 |
西福寺区 | 2人 |
合計 | 48人 |
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組 織 図 | ![]() |
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(※) 地区内の権利者又は耕作者で旧野尻村の居住者
水利の乏しいこの大地の灌漑事業計画の序章は、改良区に残る「新井手開鑿並発企及土木記事」
の、明治14年8月14日の記述で始まる。明治以前には地域を統治する豊後岡中川氏が、井路の
開鑿、新田の開拓、殖産の奨励を勧めたが、幕藩体制下経済の破綻や天変地異によって成就する
ことはなかった。1811年(文化8年)に起こった一揆(四原一揆)は、農民の命懸けの騒動であり、
それがこの地方の貧困を物語っている。いちめんの稲穂が波うつまで、水を求めた堪忍不抜の百年
の歴史がある。それは、地域とともに歩んだ改良区の歴史である。
大正15年の全線通水と昭和15年のダム竣工に併せた大規模な開墾と圃場の整備は。画期的なこ
とであったが反面、莫大な負担を農家が負うことにもなったのである。滞納の発生、起債の未償還、
組合経営の危機に瀕して、昭和8年から17年まで負債整理のために、県による組合長管掌の時代
が続いた。地域の殆どの登記簿に、差押えや公売等の記載が残っているのはこれらの事業に起因
する。戦後は早々に県営事業を受入れ、昭和55年から大野川上流開発事業により国営、県営灌排
事業に着手した。昭和62年に、荻町土地改良区を吸収合併すると、町のほぼ全域の農家を組合員
とする土地改良区になった。
平成16年に、国営大野川上流農業水利事業で完成した大蘇ダム外、パイプライン等基幹水利施設
の維持管理を受託することを総代会で決定した。
平成18年度4月に、現在地へ事務所移転。
1879(明治12)年 | 明治14年8月14日起しの記録に熊本県阿蘇郡高森町津留に 水源を確認とある |
1891(明治24)年 | 普通水利組合許可 |
1914(大正 3)年 | 耕地整理組合許可 |
1923(大正12)年 | 第1幹線通水 13年―全線通水 |
1927(昭和 2)年 | 通水紀念碑建設 |
1934(昭和 9)年 | 大谷ダム着工 15年―竣工 |
1951(昭和26)年 | 荻柏原土地改良区に組織変更 |
1957(昭和32)年 | 県営農地保全工事着工 36年―完工 |
1961(昭和36)年 | 県営大谷地区干害恒久対策事業(グラウト)工着工 43年―完工 |
1976(昭和51)年 | 県営圃場整備事業着工(51年より荻地区、52年より柏原地区、 54年より柏原地区第2地区着工、平成11、12年度完工) |
1978(昭和53)年 | 畑地帯総合土地改良事業着工 |
1979(昭和54)年 | 中華民国台湾省宜蘭農田水利会と姉妹会盟約 |
1979(昭和54)年 | 県営大規模老朽ため池整備事業(大谷池)完工 |
1980(昭和55)年 | 大野川上流開発事業により、国営・県営灌漑排水幹線水路工事着工 平成12年度完工 |
1987(昭和62)年 | 荻町土地改良区を吸収合併、現在に至る |
2004(平成16)年 | 国営大野川上流農業水利事業最終計画変更により、大蘇ダム外、 国営基幹水利施設維持管理業務受託を決定 |
2006(平成18)年 | 事務所移転 現在に至る |